フェロモン部

「お前にはフェロモンが無い。」 と、言われたあの日。 フェロモンって何?! フェロモンを探すべく、一人ひっそり部活をつくりました。

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勤労感謝の日、食べる食べられるを考えるの巻。

いつも見て頂き、ありがとうございます


夏の終わりに書いて、
秋の終わりにまた書き始める位、時間が過ぎていました
(書きはじめたのは秋の終わりでしたが、書き終わりは冬の初めになりましたので、内容に時差があります。
 書き直せよ、って感じですが、そのまま突っ走ります)




いやあ、
今年は本当に人生のイベントが多くてですね、

またまた人生初体験をしてしまいました。



超健康優良主婦、
として、表彰されても良い位、
健康でありましたワタシですが、






『入院』



『7日間絶食』




という、
「食べすぎでお腹痛いと思ってたら、
 入院になっちゃった事件」

が勃発しました。




結局、原因不明の入院になったワケですが、
今年は人生のイベントが多かったので、
知らないうちに疲れていたのだろう、

と、解釈をしまして、
ゆるゆると調子を整えている感じです。





7日間の点滴生活は、

「人間って食べなくても生きていられるんだね。」

という発見と、










その後の生活に戻ったときの、



「食べなかった期間が、こんなに身体に大きな影響を与えるんだね。」




という、新しい気付きをくれました。


退院3週間後に献血に行くの図。





そして、入院をする中で、
身体の不調と生涯かかわっていく方と接した中で、


健康である事、
食べる事ができる事、

今までワタシが当たり前のように生活をしていた事が、
とても素晴らしい事であるのだ、
と感じ、


そして、

当たり前だと思っている事は、

いつでも当たり前じゃなくなる、

という震災で感じたことを、
再認識したワケです。








という、流れでむかえた、

「合鴨を捌いて、食べる会」

10553558_282140658652446_755924103706166439_n.jpg
Bohsai BARさんのfacebookページからお借りしました)

実はこちらが今日の本題。


----------------

「“いのち”を食べるということに感謝しながら美味しく頂く」

当然のことですが、都会で暮らしているとあまり感じることがないように思います。そして、「(私たち自身が)生きていることに感謝する」機会も...。

災害や大きな環境の変化が伴う時に、一番求められることは「生きる」意思かもしれません。

本会では、生きている合鴨を取り寄せて、その場で〆て、有り難くお命を頂きます。
現在では中々接することの無い機会なので、様々な感情が沸き起こる事が予想されます。
しかし、現実に「生きて行く」という事に改めて向き合う機会とし、実際にその場で感じた事などを皆さんと共有して、話し合える機会にしたいと考えています。


【主な内容】
・料理家に生きた合鴨をその場で屠殺して頂きます。
・希望者の方々と解体作業を行います(羽根をむしったり、内蔵を出したり)。
・調理した合鴨料理をみんなで食べながらお話しましょう。

Bohsai BARさんのイベントページから引用しました)
--------------




入院より前に行く事を決めていたので、
このようなココロとカラダの状態で行くとは思ってもおりませんでした。


この経験は、考えさせられる事が多すぎて、
なかなか整理できずにおったのですが、

今日は「勤労感謝の日」、そして、「新嘗祭」。

収穫物に感謝する大事な日ですから、
記憶が風化する前に、
感謝の気持ちを持って、ブログを書きたいと思います。


※生きている合鴨さんを食べていきます。
 内容が内容ですので、
 この先に進むかは、ご自身でご判断くださいませ。






このような経験はなかなか出来ないし、
現実の事をきちんと体験してみたい、


という想いがあって、
お話を聞いてすぐに申し込みを決めていたのですが、


開催日が近づくにつれ、
とても不安になってきました。










ワタシは、
野菜も果物もお肉も、
何でも食べ、頂ける事に感謝しています。

同じように、
愛情を持って育ててくれた生産者の方にも、
我が家に届くまでにかかわって下さった流通の方にも、
感謝の気持ちを持って頂いています。





野菜も果物も同じ「命を頂く」事にかわりが無いのに、

お肉になると怖いと感じるのは、
ナゼなのだろう。。




それは、
やはり体験しなければ、わからない事だったのです。




aigamo.jpg





合鴨の「あいちゃん」は、

類農園の無農薬栽培の合鴨農法で育った、雌の合鴨さんです。


こんなに間近で合鴨さんを見ることは、
通常では無いわけで、


あいちゃんを触らせてもらいました。








あいちゃんは、
とても大人しくて、

目がかわいくて、
鳥のにおいがして、
抱っこした手に心臓がドキドキいっていて、

あたたかかった。






P1000767_convert_201411.jpg



確かに、
この瞬間に生きている、


目の前で生きているのに、

命がなくなる事があるのだろうか。





本当に殺してしまうのかな。

死ぬ、という瞬間が訪れるのかな。





「やっぱり、殺すのやめませんか?」


のどまで出そうな言葉に、
自分でも驚きます。
わかって来てるはずなのに、
どうしてこういう思いがでるのだろう。





静かに、あいちゃんを殺す瞬間が訪れます。






料理家の遠藤ミホさんが、



「口の中から大動脈を切って屠殺します。

 首を落として屠殺するところもありますが、

 それは可愛そうなので、、、、

 私は合鴨さんが一番苦しまない方法で、敬意をはらいたいのです。」




コメントはうろ覚えですが、
このような想いをお話されてたと思います。

遠藤ミホさん




合鴨さんとの向き合う姿勢、
それだけでなく、遠藤さんが食べ物全般に同じ思いを持って接している事が感じられて、

なんだかとても救われた気持ちになりました。









あいちゃんは、
「メキっ」
という音をたてて、絶命をしました。




さかさまにして、血抜きをしている姿を見て、
ろうそくの火が燃え尽きて消えるように、
静かに「生」の時間が終わるのを感じました。

キラキラしていた目が、
ぼんやりと、

もやがかかったように変わっていきます。





aichan.jpg


目の前に座る、小学生の女の子の目が、
赤くにじんでいるのを見て、

私も今、同じ気持ちであると思いました。


言葉にならない感情が、
初めての事にどう受けとめていいのかわからない思いがあると、

今思えば、軽いパニックになっていました。







血抜きが終わると、
羽をむしります。


まだ、あたたかい体から、
羽をむしっていきます。



hanewomushiru.jpg


「羽は、生えているほうに抜くと抜きやすいですよ。」

と、言われ、そうはいっても実際は、
力をいれないともちろん抜けない位、
しっかりと生えています。


プチプチと羽を抜くと、
種をまいて新芽がでたような、
小さな小さな羽が、あいちゃんの体から生えていました。


それが冬毛だと聞いて、



あいちゃんは、きたるべき冬の準備をしていたのだ、
でも、冬は来なかったのだ。。。



と、少し苦しくなりました。





当然だと思っていたことが、
当然じゃなくなる。


それは、ある時突然訪れる。


それは、想像した事のない世界で起こる事もあるのだ。


田んぼにいたあいちゃんは、
ここで食べられる事を、想像できていたのかな。








羽をむしったあいちゃんは、
一回り小さくなったように見え、
その姿は、

「食材」

に変わろうとしていました。









この後は、遠藤先生が捌いてくださるという事で、
お料理が出来るのを待つようになります。


aichanmenu.jpg


お料理に使われるお野菜は、減農薬・有機肥料で作られた、
類農園のお野菜です。



久々に、元気のでる美味しいお野菜を食べました。
そして、遠藤先生の優しい、野菜が美味しく食べられる味付けに、
惚れました

こういうお料理が作れるようになりたいなあ






あいちゃんを食べた日は、
起きた出来事が消化できず、

その後もずーっと考えていました。


考えている間に、ずっと頭に繰り返されていたのは、

「五観の偈(ごかんのげ)」。



一つには、功の多少を計り、彼の来處(らいしょ)を量る。

二つには、己が徳行の全缺(ぜんけつ)と忖って供に応ず。

三つには、心を防ぎ過を離るることは貪等(とんとう)を宗とす。

四つには、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんがためなり。

五つには、成道の為の故に今この食を受く。


意味】
この食物がどれだけの苦労や手間を労してここにあるのかをよく考え感謝し、
自分が果たしてこの食を得る資格があるのかを省みて、
食事に対する貪りや怒り・愚痴(三毒)を捨てて好き嫌いなくいただくこと。

そして、これは枯れた体を癒す良薬であり、
この食を摂ることによって即ち人間として正しい道を歩むことを誓います、という意味なのです。
食事は正しい人への道のりだと。

(「副住職の一口法話」さんの訳がわかりやすくて好きなので、引用させていただきました。)




どうしても、

「自分が果たしてこの食を得る資格があるのか」

という部分がクローズアップされてしまって、
非常に苦しかった。







多分、退院して、まだ体が元気じゃなかったから、
特に受け止めるのに時間がかかったのだと思われます。






一週間位たって、
あいちゃんの事を思ったときに、
涙がでました。

かわいそう、とかそういう気持ちでは無く、

死ぬ、という事が、
ただ純粋に悲しかったんだ、

そして、きちんと悲しまなかったせいで、
悶々とした日をすごしてしまったのだ、
と気が付きました。





悲しいという感覚が受け止められて、

これは温度のある生き物さんから感じられる、
命を頂く衝撃なんだ、と実感が出来て、


「これは枯れた体を癒す良薬であり、
この食を摂ることによって即ち人間として正しい道を歩むことを誓います、という意味なのです。
食事は正しい人への道のりだと。」



という「五観の偈」の部分に、
あいちゃんはワタシの良薬になってくれたのだな、と、
ようやく腑に落ちてくれました。








この会の終わりに、遠藤先生が、


「今回の事が、特別な事だと思わないで下さい。

 これは、当たり前の事なのです。

 そして、合鴨さんだけでなく、お野菜や穀物等も、同じ様に命を頂いているのです。」



後半の言い回しが曖昧なのですが、

敬意と感謝の気持ちをもって食材に向かい合い、お料理をつくり、食べる、


野菜も穀物もお肉も、生のあるものを頂く事にはかわりがない、という気持ち、


遠藤先生のお人柄とや思いを感じて、
またまた、惚れました


 





あいちゃんの顔を見ながら、
同じ地球上の生物ですので、
時が違えば、ワタシがあいちゃんかもしれないのだ、
と考えていたのですが、


ワタシが食材だったら、
遠藤先生みたいな方に食べてもらいたい・・・
と思うのです。








だから、

「食べてもらいたいという人になろう」


と思い、今日も、


「いただきます」


で、食べるのでした。










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